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EDELWEISS ブログ

こちらは、「EDELWEISS」のブログです。
管理人・ゆうじの日記帳のようなものです。
ホームページの更新情報、スポーツ情報、芸能情報など、
いろいろな情報を不定期に書いていきます。
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七月場所、総評

両国國技館で開催された異例の七月場所は、無事に15日間、休むことなく開催できました。

 

その異例の場所で優勝したのは、照ノ富士関でした。みなさんもご存知のとおり、照ノ富士関は元大関で、一時は横綱の一歩手前まで行っていましたが、膝の怪我等で休場が続き、序二段まで番付が下がっていました。今までの元大関は、遅くとも十両陥落が決まったあたりで引退してしまいましたが、照ノ富士関は、諦めずに頑張り、幕内まで復帰し、再び賜盃を手にすることができました。次は、大関復帰が期待されるでしょう。七月場所の強さだと、大関復帰も夢ではないと感じました。但し、照ノ富士関の膝は、決して完治しているわけではありません。これからは、上位陣との取組も多く組まれます。膝の怪我を悪化させないか、それが心配です。

 

三賞は、殊勲賞=御嶽海関・大栄翔関・照ノ富士関、敢闘賞=正代関、技能賞=照ノ富士関と決定しました。殊勲賞の御嶽海関・大栄翔関、敢闘賞の正代関、技能賞の照ノ富士関は妥当な選考だと思います。照ノ富士関の殊勲賞も、絶対反対というわけではないのですが、殊勲賞は他に2人も該当者が居るのに、元大関にまで与えることもないように思いました。もし、照ノ富士関に賞をもうひとつ与えるなら、序二段から這い上がってきた努力を認め、敢闘賞を与えた方がいいように思いました。それから、技能賞は、もう一人、妙義龍関も該当していました。妙義龍関は、千秋楽で勝てば11勝となっていたので、「千秋楽で勝てば受賞」という条件付きにしてもよかったと思います。

 

外出自粛の方針を破り、“夜の店”に出入りしていた阿炎関は、7日目から強制休場となり、場所後、自ら提出した引退届は受理されず、3場所出場停止の処分を受けました。処分は厳しすぎるような気もしますが、今は状況が状況だけに、あえて厳しい処分にしたのでしょう。二度と、同じ過ちを繰り返さないことを願います。

飲食店で泥酔した田子ノ浦親方の処分は、「譴責」という軽い処分でした。「“夜の店”ではない」「実際は、それほど飲んでいない」などが、軽い処分となった理由のようですが、やはり、親方(特に、部屋の師匠)は、力士たちの手本にならなければならない人なので、もう少し重い処分にしてもいいような気がしました。

 

元幕内・蔵玉錦関の安達敏正氏が、昨日、多発性骨髄腫のため亡くなられました。67歳でした。蔵玉錦関は、十両昇進後も本名を四股名にしていましたが、昭和53年一月場所に再入幕し、その場所から「蔵玉錦」(ざおうにしき)と改名しました。故郷の蔵王山に因んだ四股名ですが、字画数の関係で、「王」ではなく「玉」の字を使いました。1981年の一月場所に、大関・貴ノ花関を倒し、その翌日に貴ノ花関が引退したため、貴ノ花関の最後の対戦相手となりました。当時、大相撲の雑誌に「忘れられない相撲になるでしょう」とコメントしており、貴ノ花関の最後の対戦相手となったことを誇りに思っていると考えられます。その年は、九月場所に横綱・北の湖関を倒しており、その頃が全盛期だったのでしょう。引退後は、長いこと借株で年寄として残っていましたが、定年の数年前に「武隈」の名跡を正式に取得し、定年後もしばらくは再雇用(参与)という形で残っていましたが、昨年9月に退職していました。蔵玉錦関のご冥福をお祈りします。

 

次の九月場所は、本来の開催地(両国國技館)で開催されるので、俗称の「秋場所」も多く使われるでしょう。十一月場所は、本来の開催地(福岡国際センター)ではなく、両国國技館で開催されることが決まっているので、正式名称の「十一月場所」が使われるでしょう。コロナの方も、未だ終息の目処が立っておらず、今後も開催地の変更が無いとは言えないので、当面、当ホームページでは、正式名称の方をメイン表記とします。

| スポーツ | 15:51 | - |